カフェパウゼをあなたと

コーヒー片手に語らいを!わたしと、みんなと、そしてあなた自身の過去・未来と。

2年半を振り返って(その3) ロースクール入学

年をまたぎましたが、時系列バージョンの続きです。
2006年4月に某ロースクールに入学。話には聞いていましたが、これは本当に大変でした。
4月〜7月の最初の学期は、ずっと走り通し…。最初の1週間は77人のクラスメイトの顔を覚えるのが大変、次の1ヶ月は予習・復習の波に乗るのが大変、そしてその後はひたすら振ってくる実務系科目のレポートが大変。(もちろん、予習・復習もついてくる)
自分の場合は、それに加えて、髭文字が読めないことに四苦八苦しておりました…。

これだけでは何のことやら、でしょうから、もうちょっと詳しく書いてみましょう。

ローでの予習復習

学部時代も別に不真面目な学生だったというわけではないのですが、予習といっても指定範囲の教科書を読む程度、復習はまあテスト前にまとめてやればいいわけで・・・。
しかし、ローに入ってからは、1科目に対して平均3時間〜6時間くらいの予習が必要でした*1。与えられた設問を解くだけでもきついのですが、そもそも実力が無いのでその復習から入らなければならなくて…それでいて、授業では答えがそのまま出てくるんじゃなくて、議論の末にまとめることも無いまま終わることもしばしば。いや、今にして思えば当然のことなのですが、なんで答えを教えてくれないんだろうと思うこともありました。
また、読むべき判例の量が大量。ケースブックに載っている分だけでも量はかなりあるんですが、参照判例まで読まないと問いに答えられないし、そもそもケースブックに載っている部分だけではよくわからないし、一審から争点が変遷していることもしばしばある(この意味で、民訴の上訴の部分は必須ですよ…)ので、単純に読む時間だけでも結構かかりました。
さらに、学説の分布についても意識をもとめられました。反対説をそれをたたいてつぶして判例や自説の強化をするには原文を読む必要がありますから、一ヶ月で読んだ論文や判例のコピーの分量はあっという間に本棚を占拠する分量でした。
(ここで、論文の「斜め読み」という技術も習得・・・。)
そして、これらをそもそも探し当てるために、いろいろなデータベースの使い方も学びました。学部時代ではアクセスできなかったデータベースもありまして、ずっと入学を待ち望んでいたんですが、使えるようになったら使えるようになったで今度は情報の取捨選択(何より時間がない)に悩むし。

実務系科目でのレポート

情報の取捨選択という観点で一番鍛えられたのは、実務系科目のレポートでした。この時期は契約書の直しとか事案検討メモとか、家事調停案作成とかが課題となっていたのですが、それらのすべてにおいて判例(裁判例)の検討が不可欠でした。適切に類似事案を見つける能力がなければやっていけないのですが、実は類似事案を見つけるだけであればクラス内の協力でなんとかなったりします。*2問題はその先で、何が類似していて何が異なるのかを読み取り、説得力を持って書かなければなりません。しかも、往々にして期限と分量は限られていて、どうまとめるかが問われるわけです。なんか、当たり前のことを書いていますが、この過程で学部時代にはわかっていなかったことを少しずつつかむことが出来たと思います。学部では、判例の重要性をあまりきちんと捉えられていなかったと思います。そこに、実際に争う人たちのどのような思惑があって、その後のまったく別の事件に直面した人たちにどのような影響を与えるかということについて、あんまりわかっていなかったと思います。
実務家という立場で裁判例を扱うという場面を疑似体験させることは、一番良い方法の一つであると思います。それを継続的に*3行えたのが、ロースクールに行ってよかったなと思えるひとつの理由になっています。

髭文字との格闘

このような状況の中、とても時間が足りない状態だったのですが、卒業直前のゼミ発表で撃墜された経験をバネにさらに勉強を続けなければ、と思いまして、「ロースクールの学生も、研究者になるんなら歓迎する」的なコメントが書かれたゼミを受講しました。読めないドイツ語をなんとか読めるようになりたい、と思って受講したのですが、今度のゼミはそもそも文字を文字として認識するところからはじめなければなりませんでした。
…19世紀のドイツ語のフォントはそのままでは読めませんorz
先輩や先生は「一度読めるようになれば簡単だから」というのですが、まったく読めませんでした…。読めるようになったのは、1ヶ月たった頃でした。
文字が読めるようになったといっても、今度はさらに難解な文章が待っていました。聞けば、やっぱり難しい文章の書き手だった模様で…いやいや、本当にこのときの先生と先輩2人にはご迷惑をお掛けしました。*4
体調も崩したりして、ゼミだというのに休んでしまったことも悔やまれます。
いや、当時のスケジュールを今思い出すだに恐ろしいのですが、
月曜:苦手の刑訴の授業が終わったら、ずっと民訴の勉強
火曜:友人と民訴の検討をして、民訴の授業、帰宅次第ずっとドイツ語
水曜:徹夜でドイツ語やって学校に駆け込み、3限にドイツ語のゼミ、4限に憲法の授業
木曜:判例研究の授業のあと、レポートに明け暮れる
金曜:刑訴の授業に出て、実務系科目の授業に出る
土曜:バイト
日曜:バイトと予習
って感じでした。この間に、憲法の予習と実務系科目のレポートが挟まる。
火曜の夜は限界超えてましたね。もっと余裕を持って読みたかったんですが、これでも回っていませんでした。
バイトしすぎの感もありますが、学費が高いのでやめられませんでした。


そんなこんなで結構精神的にも参ってしまっていたのですが、いろんな先輩や先生や同輩が支えてくれました。このブログ上でもそうですし、学部時代にお世話になった先生、ローでの講義後の質問後の雑談など、いろんな先生に励まされました。本当に手がかかる学生だと思います。
ある先生には、「お前みたいなのが研究者を志せるのはいい時代になったなあ」といわれましたが、本当にそうなんだと思います。覚悟も意気地もない、実力もない無いものだらけであることを痛感して日々を過ごしています。
ただ、いろんな分野について判例や論文を大量に読むこと自体を迫られたことがなかった学部時代に比べて、少しだけ成長したかなと思えた時期でもありました。
苦手な分野でもきちんと調べてなんとか答えを返す、という癖がついたこと、苦手な分野でも頑張れば面白いレベルまで達することができることを気づかせてくれた先生と同輩には本当に感謝したいと思います。
そのような意味で、一番愉しい時期でもありました。

*1:私が不出来なだけかもしれないんですが。

*2:ある意味、別の意味での情報収集能力が問われているかもしれない…

*3:上記のレポートは初期段階であり、これは別の学期においても続きます。

*4:これからもお掛けすると思います…。