読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

カフェパウゼをあなたと

コーヒー片手に語らいを!わたしと、みんなと、そしてあなた自身の過去・未来と。

娘の「おまる」写真をFacebookにアップした両親が訴えられた!オーストリーでの報道から

SNSは楽しいけれど・・・親子で訴訟?

お久しぶりです、ぱうぜです。最近ますますSNSとリアルとの垣根がなくなってきておりますけれども、今日、オーストリー*1から、衝撃のニュースが飛び込んできました。
オーストリーの "Die ganze Woche"誌の記事です。
タイトルは"Tochter verklagt Eltern wegen Töpfchenfotos"(娘が両親を訴えた、おまる写真のせいで)という記事です。
http://www.ganzewoche.at/inhalte/artikel/?idartikel=10019%2FTochter-verklagt-Eltern-wegen-Toepfchenfotos

もっとも、ぱうぜ自身はオーストリーの雑誌状況に詳しくないので、この雑誌がどういうタイプの雑誌なのかはわかりません(ガセネタかもしれない)。しかし、内容はきわめて興味深いものですので、以下、上記記事からわかる範囲での事実関係と双方の言い分を、多少の意訳も交えてお伝えしようと思い、この記事を書くことにしました。*2
なお、この報道を追いかけた英語報道もあります。
Austrian teenager sues parents for putting her baby photos on Facebook - ITV News
適宜ご参照ください。

どんなことがあったのか

それでは、冒頭の"Die ganze Woche"誌の報道に基づき、ぱうぜが理解した範囲で、今回の事案を紹介してみましょう。*3
今回の事件を一言で言えば、赤ちゃん時代の写真(おまるに乗っている写真や、赤ちゃんベッドではだかのまま寝ている写真などが含まれる)をFacebookにアップした両親が、成人したあとの娘から訴えられた、というものです。
両親がFacebookを利用し始めたのは2009年、娘は2016年現在18才で、14才の時に投稿に気がついた、ということですから、2012年ごろ、投稿されているのに気がついたということのようです。
記者は、原告である娘と、被告のひとりである父親に、インタビューを行っています。
以下、口語の意訳(内容については変更していませんが、誤訳等があれば教えてください。)を交えてお伝えします。

原告(娘)の言い分

投稿するときにはもう私は8歳で、「投稿してもいいか」どうか、確認してもらう権利があったはずなのに、お父さん達は赤ちゃんの頃の写真をアップし続けたの。700名も友達がいて、500枚以上もよ。
まったく知らされてなくて、自分がFBに登録できるようになって14歳に登録してみてはじめて、それを知って大変驚いたし、怒ったし、恥ずかしかった。そのときすぐに「写真を消して」といったのに、ぜんぜん聞いてくれない。しょうがないから18歳になるまでまって、両親を訴えたのよ!

(ちなみに、現在は両親とは別居して友達2人と暮らしている模様)

被告(父親)の言い分

私たちにはあれらの写真を投稿する権利があるはずだ。だって、あれは私たちの子どもの写真で、私と妻にとっても美しい家族写真なんだよ。FB友達だって、いいね!って言うんだ。もう今となっては娘は写真を撮らせてくれないんだよ、だからもう投稿することもできない。
だいたい、全てのユーザーに公開するんじゃないんだ、たった700人の、僕らの友達っていう限られたメンバーだけに公開するんだよ。なんでダメなんだ。

率直な感想

皆さんはどう思いますか。まだ判決は出ていません。
私としては、8歳の時点で、彼女にきちんと確認をしなかった両親に非があると思います。
14歳の時点で、削除することもできたでしょう。
写真に残したい、それはわかるのですが、それをどの範囲の人間に公開するかどうかについては、
それぞれの被写体に決定権があると思います。
FBの責任うんぬんも元記事の中では言われています*4けれども、
人のせい、サービス提供者のせいにする前に、
一人のFBユーザーとしても、
「それって本当に公開しちゃってよいの?」という写真については、そっと知らせてあげたいなあと思っています。
一番悲しいのは父親のコメントのこの部分。
「もう娘は写真に写ろうとしてくれない。」
そうなってもいいんですか、と問いかけたいです。

Facebookのフレンドに公開してみたところ

以上の内容を、先にFacebookのフレンド限定で公開してみたところ、実に様々なコメントをいただきました。
「そもそも、人のトイレの写真をアップしてよいの?」
「子どもだって、一人の人格じゃないか」
「子どもの写真は一切アップしないことにしている」
「本人がいやがりそうな写真はアップしないよ」などなど。
実は、この事案は複合問題でして、この事案では両親が悪いよ、と言えるかもしれませんが、ちょっとずつ事情を変えていくと、なかなか線引きは難しい。
そもそも、両親はSNSにオープンな考えを持っているかもしれないけれど、子どもはあまり好きじゃないかもしれない。
両親は「かわいいー!」と思う写真が、本人にとっては苦々しい思い出かもしれない。
8才のときには同意していても、14才(一番気むずかしい頃だよね)では嫌になっているかもしれない。
子どもの誕生日を祝うときに「今までの写真、このままでいいかな?」と
家族でのSNS運用ポリシーを確認する癖をつけるのも、有りなのかもしれないですね。

「子ども」と自分は違う人間であるということ

私自身はまだ子どもを授かっていないので、自分の経験としてはまだわからないことだけれども、
やっぱり父親のコメントから透けて見えるのは、
どこから独立した人格として尊重するのか、ということでもあるんだと思います。
他者を大事にすることは、「異なる考えを持っているかもしれない」と思って
丁重に取り扱うこと、だと思うのです。
それは、実の子どもであっても、いや、実の子どもだからこそ伝えなければならないはず。
皆さんはどう考えますか。

この続きはまたどこかで

今回、ちょっと中途半端な状況でアップするのはどうか、とも思ったのですが、
Facebookフレンドのコメントの中に、「とにかく情報提供というのも大事」というものがありまして、
一個人としての、ブロガー属性での「ぱうぜ」名義で書きました。
もう少し調べたり考えたりして、「横田明美」名義でも引き続き発信していこうと思います。
それでは皆さん、よいカフェパウゼを。

*1:昔はオーストリアとカタカナ表記していたあの国です。

*2:なお、元記事の中には、オーストリーの弁護士によるコメントや、オーストリーのデータ保護法における行政罰、フランス法でのプライバシー保護についての記述などもありますが、ちょっと裏取りができていないので、今回は省略します。「横田明美研究室」ではなく、「ぱうぜ」名義でこちらのブログに書くのは、あくまで一ブロガー・SNSユーザーとして、今回の事件を紹介したい、ということです。

*3:まだ判決は出ていないので、これらの事案整理が裁判で認定される事実とは異なる可能性があることをお断りしておきます。

*4:これを書いている時点で、オーストリーのEコマース法やデータ保護法(日本の個人情報保護法に相当する)など、関係する法律について十分な調査ができていないので、この記事ではその部分については翻訳していません。ご容赦ください。