カフェパウゼをあなたと

コーヒー片手に語らいを!わたしと、みんなと、そしてあなた自身の過去・未来と。

「すごいよ!」と言い続ける人でありたい

ぱうぜ、マンガになる

朝起きてみたら・・・

「あ…ありのまま 今朝 起こった事を話すぜ!
『おれはじゅんさんの前でマンガを褒め称えたと思ったらいつのまにかマンガになっていた』
な… 何を言ってるのか わからねーと思うがおれも何をされたのかわからなかった…」

ポルナレフの名言はさておき、わたし、朝起きたら4コマ漫画に出てました。

4コマでネットとリアルを混ぜる « 純コミックス

きっかけはじゅんさんが書かれている通りです。
4コマ漫画でのブロガーさんのキャラ再現率がすごいので、
褒め称えていたら、それごとネタにされてしまいました。
このマンガ、ぱうぜの体型が「実物より5割スリム」であること以外は実話です(苦笑)。

このマンガ自体がネットとリアルの融合だったり

裏話をすると、実はじゅんさんに実際にお会いしたのは今のところは一回きりです。
その後、ツイッターでのやりとりはありましたが。
上の4コマも、1コマ目と2コマ目(マンガのキャラ再現率がすごい)はツイッターでの発言、3コマ目と4コマ目(プレゼン)は懇親会二次会での発言だと記憶しています。
・・・おお、この4コマ自体がネットとリアルの融合ですね。

読んでみて気がついたこと

体型や着ている服が違う(黄色は実はほぼ日手帳カズンの色で、レモンイエローの服は持っていません。買おうかな)くらいで、あまりにもリアリティがある。そのため、お会いした日当日の後悔も思い出しました。

「ああー、私ほんと褒めるの下手!」

じゅんさんが言うとおり、その日こんな事を考えていました。

この方、ものすごいスライドでわかりやすい。けど、話し方をみるとたぶん経験は少ないんだろうなあ。私はパワーポイントやってないからこんなスライド作れない。経験のなさを補うスライドすごい。

褒めようと思っていた。でも、「経験浅いですね」だけ印象に残してしまった・・・かも。これは失敗です。

今回の件をもう少しだけ考えてみます。

褒め方上手ってなんだろう

人を褒めるのに遠慮はいらない

まず、じゅんさんがここまで喜んで速攻で記事にしてくれたことに驚いています。ブログを書いてみてわかることですが、文字だけ構成するだけでもそれなりに大変です。それに加えて、彼は得意とはいえ4コマの構成もしているのです。それも、題材が「一度しか会ったことの無い人」というかなりハードルの高い作品を。やっぱりすごい。大事なことなので何度でも言います、これはすごい。

大事なことなのではっきり言います。「すごいよ!」というのに遠慮はいらない。こればかりは全力で言わないと、なかなか遠慮と謙遜の壁を突き破れません。

理由付けが大事

しかし、私が忘れていたことがありました。
それが理由付けの大切さ。
ネットとリアルをつなげる文脈で褒めたときには、ちゃんと理由をつけています。しかし、プレゼンのときは、安易に言葉を紡いだ結果、別のメッセージが伝わってしまいました。これは良くありません。褒めるにせよけなすにせよ、何らかの理由が必要です。

なぜ理由が必要か。それは、発言者自身がどこまで考えているか、わかっているかを示せば、発言の受け手にとって判断材料が増えるからです。

理由付けの大切さは、よく批判について説かれます。
つまり、批判を単なる人格攻撃にするのではなくて、「議論」に対しての批判とするために説かれることがあります。日本人のディベート下手が言われるとき、人格攻撃に陥っているケースがよく例示されます。それは、理由をつけていないために、感情ばかりが先に立ってしまうからです。理由をつければ、「そのりくつはおかしい」と再批判できるのに。

今回のマンガで、理由付けによる文脈形成が大事なのはなにも批判だけではなく、賞賛においても必要であると感じました。もう少しだけ考えて見ましょう。

理由をつけて「すごいよ!」と言うと

もしも「思ってたのと違う!」理由で褒められたら

理由付けのある賞賛をいただいても、「え、そんなの考えたこと無かった」ということは良くあると思います。今回は幸いにしてJunさんに感じ入ってもらえる理由付けが出来ましたが、もし、「え、そんなの違うよ・・・」と的外れだった場合、どうなるでしょうか。

つまり、こんな場合です。

KさんがJさんをほめるとき、Aという理由でほめました。
しかし、Jさんは本当はBという理由でほめてほしかった。

このとき、私がKさんの立場であれば、
Jさんに「はは、ありがとう」と言ってもらうだけで流して事なきをえようとするのではなく、
「え、僕はBだと思ってるんだけど」といってもらいたい。
そうしたら、なんで褒めるときの理由としてAだと思ったのか、Bに思いが至らなかった理由を話してみたいのです。

そこまですれば、KさんとJさんは、お互いのものの見え方が違うことを確認して、別の考え方のかけらを得ることができるでしょう。

違いを共有したい

ここまで書いてみて、私がしたいことは「違いを理由付けて共有したい」ということであると気がつきました。単なる感想ではなく、理由付きの感想。
もちろん、「なんだか言葉にできないけど、とにかくすごい!」という褒め方もアリでしょう。そのときは、褒められた方と一緒に、褒めた方がどうしてすごいと感じ入ったのかを語り出してほしいのです。

理由をつけて「すごいよ!」と言いつづける人でありたい

自分で気づくのは難しい、長所も短所も

自分の特徴を自分で気がつくことほど難しいことはない。それは、長所であっても短所であっても難しいものです。「ああ、ここは〜と違うんだ」という違いの発見が必要だからではないでしょうか。そうすると、少しでも「おっ!」と思ったときは、その理由を考えてみて、それでもやっぱりすごいなら、もう手放しで「すごいよ!」と言い続けるひとでありたい。

「なりたい」と「ありたい」はちょっと違う

「なりたい」ではなくて、「ありたい」なのは、今回はちゃんとじゅんさんに理由をつけて「すごいよ!」と言えたからです。自分ができたプラスのことを、少しづつ続けていく事も大事だと思います。

まとめ

日頃から職場や大学、ツイッターなどでお世話になっている方々には、まだまだ「すごいよ!」といい足りない人たちがたくさんいます。これからも、理由をちゃんとつけて「すごいよ!」と言い続けていきます。もし理由が違っていたら、やんわり教えてください。どうして違うのか考えてみたいです。
このブログでも、すごいものや人を見つけたら、「すごいよ!」タグでエントリにしていきたいと思います。

それでは、よいカフェパウゼを。