カフェパウゼをあなたと

コーヒー片手に語らいを!わたしと、みんなと、そしてあなた自身の過去・未来と。

「自分のやり方」を見つける喜び

10年ごとの区切り

私事ですが-まあ、このブログいつも私事しか書いていませんけど-、今日、30歳になりました。といっても平日なので、いつものように出勤して・・・
ただ、ちょっと早めに職場を出て、夫と買物したらいつものように道路の穴ぼこにけつまづいて盛大に足を捻って(たぶん人生で30回以上やらかしています)、ひいひい言いながら夕飯をつくり、ようやく腫れが引いてきたところ。30歳になってもドジは治らないし、まったくもって平常運転であります。

それでも、10年一区切りと言いますか、この歳になるというのは、いつもの誕生日よりもひしひしと感じ入るものがあります。まずは母親に電話で感謝を述べて、今日一日は、この10年で自分に起きた変化、自分がつかんだものを一言で言えば何になるだろうか、と考えていました。

二十歳のころ

サークルの合宿中だった

10年間の変化を考えるのであれば、20歳の頃の自分はどうであったかを思い返してみるのが手っ取り早い。残念なことに、旧ブログを始めたのは22歳の誕生日が目前に迫った頃でしたから、20歳になりたての頃の日記というものは残っていません。当時、まだ私は大学2年生でした。ちょうど、今の夫とつきあいだした頃だと思います。
法学部に進学予定のコースに入ったものの、まだよく分からないまま授業を受けて、来たるべき定期試験にドキドキする。そういいながらも、2年間限定のサークル(ESSという英語サークルでした)はしっかりやって・・・20歳の誕生日は、サークルの合宿中、それもディベートや英語劇の準備をしているときに迎えたのでした。
その頃の自分には、まだ何もなかった。何者でも無かったように思います。好奇心旺盛に、いろいろなことに手を出して・・・でも、まだ何者でもなかった。

法学部進学後に

今振り返って、人生の転機になったように思われる時期は、学部3年生(21歳)の頃でした。この頃に、いま自分が専攻している学問分野に出会った。しかし最初はひどいものでした・・・わからない、本当にわからない。困ったとき、とんでもなく良く出来る同期と一緒にゼミを始めたこと、そして、わからないからと先生に夏休みに質問に行ったことで、大きく人生が変わった気がします。
ああ、人に教えられたり、教えるためにまとめたりすることが私は好きなのだ。自分のために勉強するのは飽きっぽくて長続きしないけれども、人と話すために何かにうちこむのはとても好きなのだ。そう気づいた瞬間でした。それは、ひたすら分からない顔をしながら聞いてくる学生に対して、もっと置いてけぼりにするような勢いでまくし立てる先生とか、あの手この手で質問してくる同期とかとのやりとりで気づいたことでした。

わたしたちの「シケプリ」=仲間による「ぼくのかんがえたさいきょうのノート」

この頃にまとめたノートは、手元にまだ残っています。東大法学部の通例で「シケプリ」と呼んでいたけれども、ただの試験対策プリント(あるいは書き起こし)ではなくて、担当した仲間の手探りのあとが脚註に残っているワードファイルです。今、自分が講義ノートを(冬学期にまさにこの科目を担当します)まとめる立場になって、これを読み返しているのが嘘のようです。

人生が愉しくなったきっかけ

のめり込むドライブ感

このノート作りは、非常に非効率です。何人かのノートを集めて、複数冊の基本書(法学部の教科書はどれも分厚い)を読んで、ときには先生が元ネタにしたと思われる論文も読んで・・・挙げ句の果てには予想問題までつくってその回答例まで作っていました(よくこんな時間あったな)。それを、仲間に放流して返ってきた質問に答えたり、また質問を投げ返したり・・・。これが愉しかった。愉しくて仕方がなくて、ゼミにも出たし、仲間との自主ゼミもした。そして、気がついたら研究の道を志していました。ここから先は以前にも書いたので繰り返しません。やはり、21歳になった直後の夏、学部3年生の夏。あのときにのめり込むドライブ感を得たからこそ、ここまで来たのだろう。

実は・・・それまで嫌いだった

実は、学部3年の春は、どうしても法学が好きになれませんでした。どうしていいのか分からない。あんなに頑張ったけど成績も良くなかった(民法1なんてゼミに入れたから大丈夫だろうと思っていたら、ふたを開けてみたら良でしたし。どうも、成績採用ではなくて、奥様が志望理由を気に入ったからだというのは後になって聞かされました)。正直、法学部に進学してよかったのだろうか、と考えていたのです。

自分のやり方=凝り性な「ノート」を「仲間」とつくる

それが、大きく転換したのは、「ああ、このやり方が自分に向いているのだ」と気がついたからでしょう。とにもかくにも、「仲間」と一緒に「ノート」をつくる。他力本願のように聞こえるけれども、自分も寄与しなければプライドにさわる。また、どうせならば相手にとってもどきっとするような質問をしてやろう。こういう双方向性は、同期だからこそやりやすかったと思います。

20代で得たこと=「自分のやり方を見つける」喜び

ブログ、SNS、そして

思えば、ブログを始めたのも21歳になってからでした。これも、最初は手探りでしたが、気がつけば「仲間以外の人にも見せるノート」となって、新たな仲間を呼び寄せるようなツールへとどんどん変貌していきました。博士課程に上がってしばらく経って、twitterを開始。そして、時期をみて、このブログとして再開。そのあとは、SNSごとの特徴をつかみながら、研究会をしたり、イベントをしてみたり・・・と今に続いていきます。「仲間」も広がっていき、そして「ノート」も形を変えて、ブログになったりイベント記録になったりと様々。でも、やっていることの本質は変わっていないようにも思います。

「コレが自分のやり方だ」と思えるまでの辛抱

さいしょは手探りでも、「たぶんこの先に自分のやり方がある」「自分のやり方さえ見つかれば、そこから色々なものが溢れ出るはず」という確信を得ていたからこそ、愉しんで取り組めたのだと思います。あくまで「思い返せば」ですけれど。この確信をドライブ感として得ていたからこそ、他のことにも取り組めたのだと思います。

30代には?

そう考えると、これから先の10年には何を得るのだろう?何を失うだろう?・・・考え込んでいても仕方がないので、これからも愉しい何かを見つけていこうと思います。

あえての旧ブログスタイル

まとまりのない書き方になりました。実は、今回は旧ブログである「Kaffeepauseの日記」と同じやり方で書いています。なんてことはない、「日記」ですから、思ったことを下書きなしに、そしてどちらかというと私事中心で書いていくというスタイルです。まとまりがなくてすみません。でも、久しぶりにやってみるのも悪くないですね。

今回は過去の自分とカフェパウゼをするかのように書いてみました。これからも色々と手を出したり、育てたり、育ったりしていきます。どうぞよろしくお願いします。