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カフェパウゼをあなたと

コーヒー片手に語らいを!わたしと、みんなと、そしてあなた自身の過去・未来と。

スカウターからスタンドの世界へ

人生観 対話

「すべてのブロガーはスタンド使い

いつも愛読しているLifehacking.jpにて、「すべてのブロガーはスタンド使い。」という名言が飛び出しました。

すべてのブロガーはスタンド使い。ブログを「テクニックの先」へ誘うプロ・ブロガー本2の魅力について | Lifehacking.jp
興味深い箇所を引用させていただきます。

先週、本書の出版記念イベントに行った際、コグレさんに突然マイクを渡されて私はすべてのブロガーは「スタンド使い」のようだ、という話をしました。漫画「ジョジョの奇妙な冒険」に登場する個性的な超能力の、あれです。

テクニックをすべて忠実に実行したからといってすべてのブログが人気になるわけではありません。

むしろ、すべてのテクニックを尽くした先に、どうしてもコピーすることのできない、ブログを書いている人の個性や抗い難い魂の形が立ち上がってきます。そう、「スタンド」です。

あるブロガーはすさまじい速さで記事を繰り出します。あるブロガーは予測能力が半端ありません。かと思うと、テクニックはほとんど使わないのにぐいぐいと読ませる異様さやすさまじさを持ったブログもあります。

この能力は誰もがもっているものかもしれませんが、わかりやすく発現させてブログに反映させることができるひとはまれです。逆に、異様な能力はあるのに、効果的に広めることができずにいるという人もいるでしょう。

以前、堀さんとお会いしたときに直接伺っていた話だったのですが、改めて本人のブログで語られるとまた感動がわき起こってきました。
さらに、最近になってブロガー界隈だけでなく、私のリアル人脈のほうでも、スタンドについて語る機会がありました。今回は備忘録と堀さんへのフィードバックも兼ねて、その話をします。

大前提

鳥山明「ドラゴンボール」と荒木飛呂彦ジョジョの奇妙な冒険」をご存知でないと納得いかないかもしれません。また、ご存知の方には「良くある評論じゃないか」と言われるかもしれません。同じようなことを言っている記事やコラムがあれば引用しようと思ったのですが、見つからなかったので、ご存知の方がいらっしゃったら教えてください。

ジャンプ黄金期

1983年生まれ、満30歳の私にとって、ジャンプの黄金期のひとつといえばドラゴンボールのフリーザ編とジョジョの第三部が掲載されていた1991年頃です。やはり同じ事を考えている方がいらっしゃいました。
ジョジョの奇妙な冒険がドラゴンボールを超えた日 - ONLY ONE DIRECTION HOME 2012→2014

このフリーザ編と第3部は、両作品にとってもハイライトなわけですが、性質が大きく異なります。

ドラゴンボール=戦闘力とスカウターの世界

ドラゴンボールは、ときに「力のインフレが起きた作品」などと言われます。フリーザ編の一つ前、サイヤ人襲来編での特徴のひとつは、戦闘力を計測するスカウターの存在でした。片目を覆う機械でピピッと測ると、相手の戦闘力が見えるという優れもの。この機械が登場してからは、地球の戦士達が気を練ることで力が急上昇したりする場面が印象的な作品となりました。
そしてフリーザ編では、「私の戦闘力は53万です」と規格外の強さを述べるフリーザに対して、主人公である悟空たちがどう立ち向かっていくのかが描かれる、というわけです。

ジョジョ第3部の飛躍・・・波紋からスタンドへ

これに対して、ジョジョでは、第3部以降、第2部までの「波紋呼吸法」ではなく、スタンドが中心となります。上記の堀さんの説明にもあるとおり、このスタンドとは魂の形。スタンド使い同士は、お互いのスタンドを見ることができます。一人一人能力が違うスタンドが、背後霊のように浮いているという感じです。もちろん肉弾戦が得意なものもあるのですが、それに限りません。精神攻撃やゲームを生じさせるもの、そして時や空間を支配するものまであります。
ジョジョ第3部が単純な力比べから、スタンド同士の相性や知恵比べに力点を動かしたことで、ジョジョワールドはかなりの幅を持つようになりました。(個人的には日本の街が舞台となる第4部が好きです。日常に潜む怪奇とバトルと人間模様。)

現実世界は?

無理矢理現実世界に当てはめてみよう

この二つの世界の対比は、現実世界の見方を表すのにも有効だと考えます。他の誰かと競ったりするときに、自分はどちらのバトルだと思っているのか。スカウターをはめているのか、それともスタンド使いとして見ているのか。この違いによって、かなり見えてくる世界が違ってくるように思うのです。

とある恋愛相談にて

ある女性の友人からこんな相談をいただいたことがあります。
「彼のことは凄く好きなのだけど、自分が見合った人間ではないから距離をとろうかと思っている」と。
これには驚きました・・・家柄の違いとかならまだわかるのです(家族の理解のない結婚を前提にしたおつきあいは辛い、という意味では)。でも、そういう事情ではなくて、ただ単純に、「見合うか見合わないか」を考えている。しかし、相手からも話を聞いてみると、まったく違う考えで好感を持っていることがわかりましたので、それを伝えて事なきをえました。

仕事での悩み

また、あくまで一般論ですが、とても仕事ができる人が、自分の成果物に満足できなくなって、心を病んだり、命を落としたりするという哀しい話を耳にすることが何度かありました。研究者という特殊な領域にいることは重々承知していますが、これは別に研究だけではなく、専門性が高い領域でままおこることのようです。

スカウターの世界からの脱却

一概には言えないけれど

この二つの話を聞いたときに思い出したのが、上記のスカウターとスタンドの対比でした。一概にはいえないけれども、少なくとも恋愛相談をしてきた友人の話の違和感は、「彼女はスカウターをはめていたから」で説明できるのではないかと思うのです。スカウターで、彼と自分の能力をピピピ。こちらは100、でも相手は10万もある。これではまったく見合わない・・・そう考えている様に聞こえたのです。

改めて問いかけてみた

そんな彼女に、「彼のどんなところが凄いのか」を改めて聞いてみました。ものすごく頭の回転が速いこと。意欲的な仕事をいくつも成功させていること。確かに、それらは普段我々が聞いている「凄い人」のイメージです。そして、カウンターパートの彼にも、彼女のどんなところに惹かれたのかをきいてみました。それは、「自分に見えないことを教えてくれるから」「まさに生き生きと飛び立とうとしている所にひかれる」と。それ以上はシャイな彼から聞き出すことは難しかったけれども、観点が違うことや、成長途上にあることそれ自体に惹かれていることがよくわかりました。彼は彼で、スカウターの世界とは全く違う尺度で彼女のことを評価していたように思います。

時間経過による劣化なのか、変化なのか

また、優秀な人ほど陥りがちな、過去の自分の成果物との比較。もちろん、客観的にみてどうしても過去の自分を超えられないということはあると思うのです。でも、劣化なのか、変化なのかは形にしてみないと分からない。自分のもっているスカウターはもう役に立たず、全く別の方面から評価されうるかもしれないのです。それに、いまの尺度が後にどうなるかなんて誰にも分からない。

スタンドの世界へようこそ

堀さんの記事に戻ると

冒頭の堀さんの記事は、次の言葉で締めくくられています。

そしてテクニックを尽くした先に立ち上がってくる自分の「本当の能力」を意識しましょう。それがブログの楽しさでもあり、読者としても読まずにはいられない魅力なのです。

書いているうちに、テクニックによる工夫を尽くした後に立ち上がってくるもの。それが自分の魂の色であり、「本当の能力」なのです。ブログを書き続ける、作品を投下し続けることは、それを読む人々―書いている途中あるいは書き終わった後の自分も含む-からのフィードバックをうけます。フィードバックを受けることで、どんどん自分の色が見えてくる。それを言いたいのだろうと思います。

「唯一の色」を生み出す組み合わせ

他と比べて違っている、というのは、相対的なものの見方かも知れません。「たしかにこの集団ではひとりかもしれないけれど、他にもいるんじゃないかなこんな個性」と思うかもしれません。
けれども、過去の自分や未来の自分との組み合わせや、読者として関わってくれる人々との組み合わせによって、生み出される色は無限の可能性を持つのではないでしょうか。

スタンド使いの闘い方

思えば、ジョジョ第3部以降の闘い方では、相手の能力とこちらのメンバーの能力の組み合わせで、実に様々な闘い方が生まれています。あまり詳しく書くと長くなるしネタバレになるので控えますが、相手の能力の特徴を見抜いていくこと、そしてそれに応じ自陣営の能力を組み合わせていく展開は本当にエキサイティングです。

スタンド使いに共通の能力=スタンドが見える

さらに、重要なことは、スタンド使いにはスタンドが見える、ということ。見かけや職業に囚われずに、相手の「本当の能力」を見る力そのものも重要です。現実の世界でも、自分のスタンドを見つけることができれば、他の人のスタンドも見えるようになるのではないでしょうか。逆も然りで、他の人の隠された力に気づくことが出来れば、自分の良いところも見えてくるのではないでしょうか。

ちょっと無理矢理すぎたでしょうか。ゲームやマンガの設定でリアルを語ろうとするのは悪い癖なのですが、やめられません。長々とした文章におつきあいいただきありがとうございました。当たり前過ぎるような気がしてきましたが、語らずにはいられませんでした。
夏の夜の暑さにうかされながら、今日もカフェパウゼを。